今日は多摩地域にある工場でバイトをしてきた。
その工場は従業員50名ほどだったが、半分以上が東南アジア系の外国人だった。
私は社会人になってから2ヶ月間と短期ではあるが、同じように東南アジア系の外国人が多く働く工場で続けて働いたことがある。
もしかしたら日系人かもしれないが、この記事では便宜上”外国人”としておく。
日本の経済を回してくれている貴重な人材をよそもの扱いする意図は無い。
以前働いた工場では、管理者は外国人の従業員とのコミュニケーションを半ば放棄しており、外国人の従業員は作業中に母国語でずっと談笑していたが、ほとんど注意されることもなかった。
外国人の従業員は日本語を話せる程度もまちまちで、管理者は日本語をある程度話せる人を介して外国人の従業員へ指示を出しているようだった。
日本人の従業員は隣で働く外国人の従業員の名前も知らない状態で作業しており、日本人の従業員と外国人の従業員の間には明らかな壁があった。
今日働いた工場では、外国人の従業員の中に日本語に堪能な人が多そうに見えたというのもあるが、そんなに壁は無いように感じた。
仕事は誰でもできる簡単な作業で、原料を向きを揃えて機械に投入する。
とはいえ、原料の種類によって機械の設定を変えなければならない。
私に仕事を教えてくれたのは、パートと思われる中年女性の外国人の従業員だった。
隣のラインで同じ作業をしながら、色々と丁寧に教えてくれた。
親切にしてくれて感謝だが、その人の作業の速さには驚いた。
機械のディスプレイに当日の生産数が表示されているのだが、私の50%増しのスピードだった。
私が1000個作っている間に1500個作ってるみたいな。
さすがベテランである。
ただ、はす向かいの外国人従業員は私の10%増しくらいだった。
なんとか追いついてやろうと思ってお昼休み以降はかなり気合いを入れて頑張ったが、終業時間までに数%しか差が縮まらなかった。
それは余談であるが、外国人の従業員の方々ともちゃんと「お疲れさまです」を言い合えてよかった。
このエピソードから特に教訓めいたことを捻り出す気は無いが、外国人の比率が多い職場でもコミュニケーションが上手くいってるところと、そうでもないところもあるんだなとは思った。
少子高齢化の進む日本では政府の方針によりこれからもっと多くの外国人労働者を受け入れる予定である。
それによりどういうことが起きるか私の頭では想像することが難しいが、お互いに歩み寄りの気持ちを忘れないでいたいものである。
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